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消防殉職者慰霊碑に行ってみた

(公開: 2017年09月18日)

消防殉職者慰霊碑

島原復興アリーナには噴火災害の追悼碑があります。6月3日いのりの日の16時8分には市内に追悼のサイレンが鳴り響き、黙とうを小中学生をはじめ奉げています。

 ・雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑 … 仁田団地第一公園内 島原市仁田町乙1845

 ・消防殉職者慰霊碑 … グラウンド奥の海側へ

 

消防殉職者慰霊碑題名の通りアリーナにある消防殉職者慰霊碑の方に今回行ってきました。私も当時消防団に在籍し同級生も近い地区の消防団にいたこともあり報道で「火砕流で消防団にも死者が…」って聞いた時はドキっとしたものでした。マスコミを除いた地元犠牲者の親類縁者、知人・友人せまい地域なので何らかの関係がある人がたくさんいます。風化させず教訓として次世代に少しでも繋げられるよう努力していきたいです。

 

 

消防殉職者慰霊碑___

火砕流の襲撃を受けた「定点」の報道関係者は不測の事態に備えて即座に逃げられるよう、チャーターしたタクシーや社用車を南に向けてエンジンをかけたまま道路に止めていたものの視界が悪く、逃げ道となるべき風上からも、前述の赤松谷川方面から流れてきた火砕サージの襲撃を受けたため、ほとんど退避できなかった。

 

「定点」から数百m離れた農業研修所の消防団員は火砕流の轟音を土石流が発生したものと判断し、水無川を確認するため研修所から出たところを火砕サージに襲われ、多くの団員はそのまま自力で避難勧告地域外へ脱出したものの、重度の熱傷と気道損傷を負った。

 

結果、報道関係者16名(アルバイト学生含む)、火山学者ら3名(クラフト夫妻と案内役のアメリカ地質調査所のハリー・グリッケン)、警戒に当たっていた消防団員12名、報道関係者に傭車され独断で避難できなかったタクシー運転手4名、避難誘導を行うためパトカーで来ていた警察官2名、市議会選挙ポスター掲示板を撤去作業中だった作業員2名、農作業中の住民4名の合わせて43名の死者・行方不明者と9名の負傷者を出す惨事となったが、被害は避難勧告地域に収まっていた。

引用 Wikipedia ___

 

自衛隊のヘリコプター・装甲車

自衛隊ヘリコプター・装甲車平成19年(2007年)6月3日の「いのりの日」に、消防殉職者慰霊碑前へ自衛隊ヘリコプター・装甲車の引き渡しが行われました。

 

このヘリコプターと装甲車は、雲仙・普賢岳噴火災害で捜索活動や警戒監視活動などに従事した自衛隊の活躍を永く後世に伝えるため、展示用として市に寄贈。

 

 

棄権や困難ななかの作業非常にありがたかったです。特に私は近隣の人たちが次々と引っ越していかれ町の灯がだんだん少なくなっていく、あのさみしさと心細さ。人が近くにいてくれるっていう事のありがたさを感じました。

 

雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑

仁田団地第一公園 にある「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」です

雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑 雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑

 

 

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